ジョルジュ・ネラン神父の非公式サイト

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宣教はマン・ツー・マンで

宣教は、身近な人たち同士がマン・ツー・マンで話し合う、つまり宣教の役割を担うのは司祭ではなく、信徒そのものである。サラリーマンにキリストの姿を伝えるのはサラリーマンでなければならない。学生は学生に、主婦は主婦にキリストの姿を伝えていく役割があると考える。信者が小教区ではなく、自分の地域、職場などで人びととかかわることが宣教であり、人びとに大きな影響を与えることになるのだ。
小教区のミサでは平和のために祈ったりする。それも大切なことだが、平和のために何かをしようとしたら、例えば、自分の街で出会う外国人と一緒に食事をしたり、日本語を教えたりする場をつくるなどして友だちになることだ。初めて日本を訪れたインド人が、日本の街で見知らぬ人から声をかけられ、歓迎されたとすると、インドに帰っても日本の悪口は言わないはずだ。そうした行動が平和のために役立つし、場合によっては宣教活動のきっかけになり得ると思う。

Gネラン(2010). 福音宣教 10月号他

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