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ネラン神父様と聖書

久米 晶子

ネラン神父様とお会いして数年たった頃、聖書の勉強を始めました。以前から、ネラン神父様の講義を受けたいと思っていたのですが、当時は「エポペ」のお仕事がお忙しくて無理だと思っておりました。ところがご相談したところ「ちょうどよかった、勉強会を始めようと思っていたところだった。では、新年からねっ」ということに。あまりに急だったので、主人に相談したところ、水曜日の夜なら早く帰宅して、子供たちの面倒を見てくれるというので、水曜日午後7時半から1時間の勉強会を始めることになりました。

ネラン神父様と、2人の紳士と私の4名で始まった勉強会は、1週間に1時間。一区切りごとに聖書を読み、ネラン神父様が「質問は有りませんか」とおっしゃいます。最初のうちは、何を質問してよいのかわからず沈黙でしたが、今は亡き服部興治さんが率先して「なぜここで憤りを覚えるのでしょうか分かりません」と質問されると、ネラン神父様が「ルカの○ページ、ヨハネの○ページを読んでください。はい久米さん、どう思いますかっ」というように、ネラン神父様の矢継ぎ早の質問に答える。参考箇所の提示、考えを述べるという流れで、あっという間に時間は過ぎ、1日に進むのは半ページでした。次回の宿題が出されて一時間が終わります。本当に水曜日が楽しみな1年でした。

今手元に、その時にネラン神父が使っていた聖書が有ります(『何をおいても聖書を読みなさい』の表紙に、聖書の一部が印刷されています)。
その聖書には、ネラン神父様の書かれたメモが赤字で記載されていて、この聖書を開くと、歌舞伎町の裏手のマンションのお部屋で、聖書の勉強会をした時のことが昨日の事ように思いだされます。その後、勉強会は真正会館に場所を移して、ネラン神父様が入院される直前まで続きました。
このマンションでは、日曜日にミサも開かれていました。ミサに、息子と娘も時々連れて行ったのですが、机の下にもぐって2人で遊んだり、ネラン神父様に抱っこしていただいたりしていました。当時4歳だった娘は、ネラン神父様が亡くなられる1年前、ネラン神父様に結婚式を挙げていただきました。予定では秋の結婚式でしたが、ネラン神父様が、秋では司式をできないかもしれないと言われて、急遽、式だけを春に挙げることとなりました。2人は信者ではないため1か月間、毎週日曜日に司祭館へ勉強に来るようにと言われ、ネラン神父様のもとへ通いました。3月には、本当に具合が悪そうでしたのに、2人と勉強を始めるとみるみるお元気になって、これなら大丈夫と安堵しました。5月の結婚式は無事終わりましたが、その1週間後には再入院となりました。やはり無理をされていらしたのだと、思いましたがご一緒に勉強をできた2人は、本当に幸せでした。(病床で、神父様が最後に2人におっしゃった言葉は、「ありがとう」でした。)

入院されてからも、「文字を理解できなくなったら、生きている意味がない。宣教できなくなったら、生きている意味がない」とおっしゃり、聖ヨハネ桜町病院の病床でも、「宣教を続けるからA氏が来るときは、来ないで欲しい」と言われ、最後まで宣教を続けられました。

ご遺言も「宣教しなさい」でした。
その遺志をお伝えしようと有志の皆様の総意により『何をおいても聖書を読みなさい』(南窓社)が刊行されました。
人生において迷っていらっしゃる方、聖書をどのように読んだらよいか解らない方、ぜひ一度読んでみてください。
2020年2月2日は、ネラン神父生誕100年を迎えます。これに期を合わせ重版もでました。読んでみたい方は、ぜひお近くの書店、あるいは南窓社(03-3261-7617)に、ご注文ください。

2019年12月25日

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