ジョルジュ・ネラン神父の非公式サイト

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日本経済新聞 1989年6月22日
私の履歴書 遠藤周作より

遠藤 周作

新宿区役所通りのビルのなかにエポペという小さなスナックがある。そこに体躯堂々と書きたいが最近は肥り気味の一仏蘭西人がおリチョッキと蝶ネクタイをつけ、器用にシェーカーをふつている。この外人バーテンはネランという神父さまである。ネラン神父は在日30年、「イエス論」といぅ質の高い神学の本を書いた神学者で東大や慶応でも教鞭をとっていたが、考えるところがめってもう十年前から新宿の一角でシエーカーをふつている。「日本人は酒を飲まないと本音を出さん。私は本音で日本人と話をしたい。だからバーかスナックを作る」彼から店を翼く動機をきかされた時、彼の友人でもある三浦朱門と私とは反対をした。我々は彼の学識の深さを知っていたから、それを他に役だてるべきだと思ったのである。しかしこの神父は頑圃者でいつものように自分の考えを実現した。今では彼の店で若者やサラリーマンや女子社員が酒をのみつつ談謝町楓宗教や恋愛を論議している。
ネラン神父は若かりし頃、私と三雲たちがリヨンで留学している間、蔭になり日なたになって助けてくれた人でもある。サン・シールの士官学校を出て少尉に任官した彼の写真を見たことがあるが、それは社交界でもてるに違いない美男子だった。
彼の家はリコンの郊外にある豪邸で、私もたびたび泊ったが庭園に汽車が走っているほどの広大な敷地であった。
そのネランがなぜ神父になったかは講談社から出ている彼の本に書かれているからお読みになるといい。ロビンヌ夫妻とネラン神父とは私にとって、留学中忘れることのできぬ恩人である。私は日本に来て、間もなし彼をモデルにして「おバカさん」という小説を新間に連載した。小説中のおバカさんは馬面の、失敗ばかりしている男だがネラン神父は当時はマカロニーウエスタンに出しても恥ずかしくない美丈夫だった。その美丈夫も今は腹が出て、「あんた本当に年齢とったなア」と私にからかわれるようになった。
それはともかくリヨン留学中、私は学生寮の寮生になってとても良かった。ロビンヌ夫人は私がからかわれぬよう「くだらぬ屁をこくな」という表現を恥ずかしそうに教えてくれたが、この学生寮で私は一度もこの言葉を使う必要などなかった。
どなかった。
起居を共にしているうちに3人の仏蘭西人学生と1人のブラジル人の学生と特に親しくなった。私はこの4人といつも連れ立って学生食堂に行ったり散歩したり映画をみにいった。このグループに2日との女子学生が加わった。私は彼等より幾分年上だったが、何しろ会話が思うようにならない。彼らが学生俗語でしゃべる時は何を言っているか理解できない。そう、そう、日本で買った日仏会議集「御機嫌いかがですか」の項に「コマン、ヴー、ポルテ、ウー」という表現が出ていた。ロビンヌ家でこの言葉を得意になって言うと、皆がどっと笑った。ここの表現は一世紀前の言い方で、「御貴殿、御機嫌うるわしく侯や」と言うようなものだ。私はそれをロビンヌ家のなかで使ったのである。だから寮の友人だちから私は随分、俗語を習った。一例。「飯だぞ」は「ア、ラ、グライユ。「食う」は「グライエニ」で普通の辞書にはない。銀座電通通りにグライエという酒場があるが、その店の名はママにたのまれて私が昔を思い出してつけたものだ。もっともこんな失敗もした。映画のことを仲間の学生たちは俗語でボビンヌと言うのだと教えてくれたので、ある日、路でばったり出あった老神父さんに「今からボヴィンヌに行きます」と言ったところ「言ってはいけない」と叱られた。ボビンヌは映画だがボヴィンヌは悪所のことだと私は知らなかったのだ。
老神父さんが怒ったのも無:理はなかった。(作家)

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