ジョルジュ・ネラン神父の非公式サイト

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「ネラン師と東大」余聞

支倉 崇晴

ネラン師(以下、師と略記)の遺品の中に朱や金色鮮やかな巻物があり、開くと100人近くの署名が記されていた。この巻物の写真で確認すると、冒頭に「恩師ジョルジュ・ネラン先生に深い敬愛と感謝の念をこめて。1980年2月29日と記されていて、あとはフランス人10名を含む91名が記帳している。
この記帳録を見て痛感したのは、後記するように師と東大との公の関係は、前田陽一先生に始まり、前田先生で終ったということである。師自身その『おバカさんの自叙伝半分一一聖書片手にニッポン36年間』の中で、東大や前田先生にも言及はしておられる。しかし、ネラン塾やエボペと比較して、東大との関わりについては知られていることが少ないように思われる。私が知る限りのいくつかのエピソードを書き連ねて、その空隙を多少埋めることが本稿の主旨である。
2012年3月20日の「ネラン神父追悼ミサ・偲ぶ会」において「ネラン神父と私」と題して話す機会が与えられた際に私が触れたエビソードとの重複はなるべく避けるつもりである。
師や澤田和夫師、粕谷甲一師とともに1960年代初めの真生会館住人であったパリ大司教区所属のベルナール・テリアン師(86歳。現在パリ9区のサン・ルイ・ダンタン教会の日曜12時のミサを担当中)の帰仏後の後任として、1963年4月から1980年3月までの17年間東大教養学部教養学科非常勤講師として、師は主として同学科フランス分科の3,4年生を相手に、東大における教育の一端を担われた。講師就任に先立つ前田主任教授との面談については『自叙伝半分』に記述がある。師と前田先生との最初の出会いとなると、師がカトリック学生新聞『しお』を刊行されていた際、第2号一面の座談会のため前田先生に来ていただいた1961年4月にさかのぼる。ネラン塾において東大講師の肩書で塾生の教授役を務められた師は、塾生募集のビラを毎期6万枚街頭で配られたが、そのビラに前田陽一東大教授も推薦の言葉を寄せておられる。
師のもとに寄ってくる学生、院生との私的交流は前田先生と知り合われる前から始まっていた。当時の東大仏文大学院生数名を相手にフランス語で行われた仏語聖書読書会が最初だと思われる。朝比奈誼立教大学名誉教授、中條忍青山学院大学名誉教授、蓮賞重彦元東大総長ほかの方々が参加していた。カトリック学生連盟の諸活動に参加のため師の住む真生会館に足繁く通っていた私も、学部1年か2年のとき、廣田昌義(現京都大学名誉教授)と2人で、それまで言葉を交わす機絵もなかった師のもとに押しかけ、カミュの短編/1ヽ言えをテキストにフランス語学習の手助けをしていただき、その後の公私にわたる長い交流が始まることになる。この押しかけレッスンには、師の日本語学習の指南役で、師の著作のあとがきで感議されている中村明現早稲田大学名誉教授も師に誘われて途中から加わった。師は東大で教壇に立つ傍ら、東大カトリック研究会の後身である駒場聖書研究会の指導も担当された。この指導は、師の引退後はオリヴィエ・シェガレ師(現真生会館館長、パリ外国宣教会日本管区長)に引き継がれた。
他方、師は日本基督教学会の会員になっておられたが、この学会の活動などを通して、東大のプロテスタント系新約聖書研究者である前田護郎、荒井献両教授らを深い交わりをもっておられた。私がまだ学部学生だったとき、京都大学構内で師とばったり出会ったことがある。日本基督教学会の大会に出ておられたということで、当時はまだ東大大学院生だった田川建三氏の発表に感錠を受けたとおっしゃったりした。私にとって田川氏の名を初めて耳にする機会となった。まだ世に知られていなかった田川氏のすぐれた資質を師はすでに見抜いておられたのである。
師の日本での宣教生活の節目の年には祝う会が催されてきた。滞在25周年(1978年、日黒雅叙園)、30周年(1983年、真生会館)、35周年と『自叙伝半分』出版記念(1988年、京王プラザホテル)、喜寿と『キリストの復活』出版記念(1997年、レストランメゾン・ド・パリ)の機会にである。この中では、25周年記念の際は師は東大の現役教師だったので、東大関係の出席者が多かった。祝賀スピーチの過半は前田陽一先生、星野英一先生(カトリック学士会会長)ほか東大と関わりを持つ人であった。
ここで冒頭の巻物に戻ることになる。上記に加えてもう一つの記念の会が1980年学年末に行われた。この日、会場の国際文化会館の庭で参加者全員で撮った葡己念写真の下部には「ジョルジュ・ネラン先生御退官。前田陽一先生パリ・ソルボンヌ大学名誉博士言己念パーティー、1980年2月29日」と記されている。つまりこの会は60歳の師の東大定年退職を記念する会だったのである。前記写真がカラーでなく白黒なのは残念だが、師はこの日赤い頭巾にちゃんちゃんこ姿で登場され、東大での同僚、友人、教え子からの万雷の拍手をお受けになった。

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