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恩師ネラン神父様

荒川 彰

私は1975年から1976年の2年間ネラン神父様が指導されていた、東京大学教養学部の聖書研究会に参加していました。そのグループには多くのプロテスタントの信者もいたので、「カトリツク研究会」ではなく「聖書研究会」の名称を使つていたのだと思います。「プロテストタントとカトリツクの違いは、三越と伊勢丹の違いのようなもので、売り方は違うが売っているものは同じだ。」という神父様の考え方を実践されていたのだと思います。聖研は週に1回(?)行われていたでしょうか、それ以外には忘年会をしたり、伊豆半島の戸田で1泊研修をしたり、遠藤周作の講演会を開いたりもしました。
18歳までイエズス会の経営する六甲学院と六甲教会で育つた私には、ネラン神父様との出会いはとても衝撃的でした。それまでどちらかというと、理性よりも霊性を重んじる宗教教育を受けてきた私には、ネラン神父様の徹底的な理性への信頼に基づく宗教教育は、まるで違う宗教であるかのようでした。ちようどそのころ、「宗教と科学」の問題で悩み始めていた私には、理性的なキリスト教理解が絶対的に必要でした。残念ながら、ネラン
神父様は自然科学の先生ではなかったので、神父様に直接「宗教と科学」についてお尋ねしたことはなかつたように思います。神の場:テイヤール・シャルダンのキリスト教観」は読みましたが、その本を読んでも悩みは解決されませんでした。私の中でこの問題が解決するのは、35歳ぐらいの時カール・ラーナーの「キリスト教とは何か」の中にあつた自意識の超越論的体験(カントの先験的経験)の説明を読んだ時でした。というと、ものすごく深淵な悩みのように聞こえますが、要は「人間機械論」を克服できていなかっただけです。もう少し私が謙虚な人間であれば、そのことは15年以上前に解決していたはずですが、実際には35歳ぐらいまでそのことに悩み続けていました。傲慢な人間に付ける薬は、なかなかないようです。
駒場聖研時代に一度真正会館に1泊したことがあります。その時はネラン神父様と1対1でゆっくり話をして頂きました。ただ、その時何の話をしたのかはよく覚えていません。おそらく私が熱心に活動していたCLCという別のカトリツクの団体の事について話をしたのだろうと思います。てっきり次の朝は早く起きてミサをするのだと思っていた私に「私は修道者ではないから、夜更かししてもかまわないんだよ。」と言われた言葉が心に残っています。もちろん翌朝ミサはしたのだったと思いますが。
実は駒場聖研の後、ネラン神父様と直接話をしたことはないかもしれません。その後は、神父様の著作を読むことで神父様からいろいろのことを教わりました。「信じること」、「キリスト論」、「キリストの復活」、『ろごす』叢書の幾つかの記事、「おバカさんの自叙伝半分」などすべての本を読みました。「もし将来本を書くのなら、カトリックの出版社でなくプロテスタントの出版社をから出しなさい。というのは、カトリツク信者はあまり神学を勉強しないから本があまり売れないよ。直接宣教できなくても、本を書くことは半分宣教していることになる。」などの名言を思い出します。
こういう流れでしたのでスナック・エポペから株主になって欲しいと案内が来た時、すでに泰星学園(現上智福岡中学高等学校)の数学教員として働いておりぎりぎり独身した私はすぐに出資しました。その時は神父様から直接お礼の電話がありました。これが私と神父様の最後の会話だと思います。エポペには一度だけ小さな息子を連れて行ったことがありますが、その時神父様はとても困っておられました。
そして、随分歳月がたちました。神父様の訃報は修学旅行先で新聞で知りました。その後Facebookで知り合った方から、神父様の最後のミサの動画と葬儀の動画を頂きました。幸田司教様の惜別の言葉が印象的でした。そうこうするうちに私は学校の父親聖研や母親聖研の担当となり、ちようどそのころ出版された「何はさておき聖書を読みなさい」を副読本として使うことにしました。そのことで私は自分の信仰理解が基本的にネラン神父
様に負っていることを再確認することができました。またちようどその頃、あるスナックの経営者の方が新しいスナックを出すというので、お願いして名前を「エボペ(épopée)」にしてもらいました。この名前を付けて良いかどうか、商標登録されているのではないかと悩み、どなたに相談してよいか分からず、葬儀の動画をくださつた方に問い合わせたところ、その方が「ネラン(敬称略)は、人間の作éたルールに関しては『ふん。どうでもいいことね!』と、意に介さなかったので、épopéeの店名も『いいんじやないか!?』って感じでしょうか」とおつしやってくださったので、思い切ってこの名をつけてもらいました。そこを何とかして宣教の場にしたいと思っているのですが、今はまだ普通のスナックです。
ここまで書いてはっきりわかりました。やっばりネラン神父様は私の最高の思師でした。
神父様ありがとうございました。

神父様、天国から私たちを見守ってください。私たちはあなたの教えを曲がりなりにも次世代に伝えようとしています。今あなたが直接話のできるイエス・キリストに私たちの事を伝えてください。私たちが伝えようとしているのはイエス・キリストなのですから。そして、私たちがそちらに行くときには、嫌がらずに迎えに来てくださいねよろしくお願いします。

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