ジョルジュ・ネラン神父の非公式サイト

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役を演じているのが人生

横川 和夫

エポペが開店した日のことは、今でも鮮明に覚えている。
虎の門から区役所通りに駆けつけたのは午後六時前。ネオンはまだで、明るかった。お客の姿は一人もなく、山内さんが、店の掃除をしていた。何を隠そう。私はエポペのお客としては〃開店〃第一号なのである。
こんなつまらぬことをなぜ覚えているのか。開店第一日日は、月曜日だから、先着順だと、私が注文したボトルの番号は当然No.一になると期待して行ったのである。
ところが、胸をわくわくさせて、出てきたボトルの番号札を見たら、なんとNo.十五ではないか。がっかりした。山内さんに文句を言ったら、前日の日曜日に開店祝いをして、既に十四本が出てしまったというのである。
それ以来、「イラッシャイマセ」という独特の声を聞きに何回通ったことだろう。
目玉をギョロリとさせ、愛想はよくないが、あたかかい視線を投げかけてよこすネラン神父。フランスの頑固親父とは、こんなタイプの人のことを言うのだろうと思いながら、水割りを飲ませていただいた。
融通が効かないというか、順応性がないというか、自分の信念は絶対に曲げない男である。「焼酎を置いたら」とか「ホステスを入れたら」などと、酔っぱらって提案したことがあるが、全部「ノン」。店のPR記事を書いたりしたのだから「ボトルの期限が切れても大丈夫だろう」と淡い期待を抱いて裏切られることしばしば。日本的な義理、人情は通用しない。そこが、またエポペたる所以なのだろうと思う。
二年前、共同通信が送信している「人間広場」に登場してもらったことがある。
その時の記事を今、読み返してみると、実に味のあることをネラン神父は語っている。
ーネラン神父の人生哲学は何ですか。
「人間は皆、それぞれ役者のように、この世の社会で与えられた役を演じているということかな。親の役、学生の役、さまざまに減じている。舞台の人物と同一人物になれる役者は名優だといわれている。ところが神父は自分が実践していなくても、〃心を尽くして隣人を愛しなさい〃と愛のメッセージを伝えなければならない。言葉と行動が一致するのが理想だけど人間だからね。それでは神父は偽善者か。わたしは偽善者ではなく、俳優、それも道化師だと思っている」
ー道化師というのは?
「キェルヶゴールが何かで宣教師は道化師に似ていると書いている。つまり、面白がられるかもしれないけれど、真剣には受け止めてくれない。特に平和と経済的繁栄を満喫している現代日本では、二○○○年前の古臭い、カビの生えたキリストのメッセージを伝える神父は道化師そのものではないか。遠藤周作が私をモデルにした小説に〃おバカさん〃という題を付けたけど、最近、その通りだと思う」

『カウンター越しの物語』より

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