新宿・歌舞伎町の雑踏から見たイエスの宣教とは
バー・エポペを開いたころ
私は一九八〇年に、バー・エポペを開きました。この頃は、ちょうど『キリスト論』(創文社、一九七九年十二月)を書き上げた時で、自由の身になったばかりの頃でした。
バー開店は、ひとえに「日本人のサラリーマン男性に宣教したい」ということがすべてのきっかけでした。もっとも、私の言う「宣教」とは「司牧(牧会)」とは異なり、クリスチャンではない人にキリストを伝えることです。クリスチャンに更にキリストを伝えるのは「司牧(牧会)」です。この二つを私は峻別していますし、そうすべきだと考えます。日本のクリスチャン人口は約一%です。残りの九九%にキリストを伝えるのが宣教であり、私はこちらの方に情熱をささげたいと思ってきました。
エポペ以前は、真生会館というところで、「学生相手に宣教する」ということを二十年間やってきました。私自身歳を重ねるにつれて、「なぜ日本人のサラリーマン男性は、教会に来ないのか」という問いを抱くようになりました。日本人女性はよく教会で見かけますし、クリスチャン家庭の子どもは、男女問わず堅信礼を受けるまでは教会に通います。しかし概して男性は、それ以後、教会に来なくなります。クリスチャン家庭で育っていない男性は言うまでもありません。それで教会に来ないサラリーマンが行くところがどこかと考えたときに、新宿・歌舞伎町、しかもお酒を出すバーであると思いついたわけです。日本人男性は酒が入らないと本音をなかなか話さないという特質にも気がつきました。そうしてバーを開店しました。私が六十歳の頃でした。
相手が日本人なので、日本酒を出すお店もいいのではとも思ったのですが、私が「外国人」であることもあり、ウィスキーやカクテルを出すようなバーがいいだろうということになりました。まず、三ヵ月間ほど新宿にあるバーテンダーの学校に通いました。グラスの拭き方、洋酒の歴史、シェーカーの振り方、お客の呼び方などを一から学びました。私がそれまで知らなかったその世界は、私が知らない知識ばかりでしたし大変興味深いものでした。その後すぐ、そのバーテンダー学校が経営しているスナックでしばらくアルバイトをしました。見習いとして、便所掃除、レモンの切り方、おしぼりの出し方、カクテルの作り方などを実地で学んでいきました。当時は時給四百円でした。楽しい時間ではありましたが、この立ちっぱなしの仕事は当然疲れる仕事でもありました。