遠藤周作と探偵小説痕跡と追跡の文学 金 承哲 著
[ 寸 評 ]
EISEI
遠藤文学を、「神とのかかわり」を「痕跡」としてそれを「追跡」する探偵小説としてとらえる視点に新しさが際立つ。
しかし、この著書の本当の新しさは、「「信仰とは何か」「信仰について語ること(=神学)とは何か」という根本的な問いがその根本にある」という分析にある。この視点で、この書は、いままでの日本におけるすべての遠藤文学の評論が決して到達しえない、地平に辿り着く。
牧師であり、若くして聖書神学を学んだ著者ならではのことだ。
そのことが、極まるのが、最終章の「沈黙」を扱った部分。
特に、ほとんどの読者が読まずにスルーする「役人日記」の重要性を指摘する。
遠藤に、「神の沈黙」以外に、この作品を書かせた本当の理由がここにあること。
「歴史に残された痕跡(=「現実」)を、遥かに超える現実(=信仰の自由)として読者に提示するもの」であること。
そして、「遠藤にとっての『過半生』の課題」即ち「『一神論的』信仰との『距離』の問題」の「解決の出口」さえ、ここにある、と。
それこそ、探偵小説のように、LASTに謎解きされるのである。
いずれにしても、遠藤文学のもつ、新約聖書神学に基づく「信仰」の領域にまで本格的に踏み込んだ研究書を我々は、初めて手にしたのである。