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皆様の感想

荒川先生十字架の道行きや、日々の福音の資料をいつもありがとうございます。
ちようど50年前4月に「復活したイエズスの出現を君はどう考えるか?」とネラン神父に質問されたことを思い出しました。
どう答えたかは忘れてしまいましたが、ネラン師は「イリユージュンのよう」と表現されました。マグダラのマリアヘのか、エマオヘの道でのことか、不在のトマスの弟子たちへのか?しヽろいろな場面を並べての話であつたかと思いますが、写真にとると「存在は判るが、霧のように輝きつつ不明確な像が写る?」と言われたかと。また「君らに見えるかどうか…、わたしには…」フランス人はなんと自信家なのかとに象を受けたのも思い出しました。

飯塚和彦

荒川先生、
†主の平和
飯塚先生が、直接ネラン神父さまからお言葉、50年?前の話題☆適任でいらつしゃいますね。
おそらく、私より上の先輩方が、色々とエピソードおありのようで、楽しく拝聴しております。
四旬節~復活祭~復活の本曜日・・、
荒川先生の日々のポスト、感謝申し上げます。

石井

飯塚様、
荒川様、
私は、ネラン神父さんにお会いしたことはないのですが、高校の時に読んだ『ろごす一キリスト教研究叢書』(1号-13号、紀伊国産書店、1959年‐1964年)に影響を受けました。たしか、その第1号が「復活」だったと思います。(年寄りにしかわからないかもしれませんが、若い方、すみません。)

ヨ八ネ福音書を読むと、復活のキリストに気づいたのは、
(1)マググラのマリアは、「マリア」と呼ばれて気づいた
(2)使徒トマスは、キリストの傷:こ触れて確信した
(3)漁をしていた弟子たちは、大漁という浴れるばかりの恵みに出会って気づいたとなっています。
私自身は、(3)のケースと思っています。
これからも、社会の中に復活のキリストを探したいと思います。

桂勲

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