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『ろごす』

< 目 次 >

< 参 考 >

『ネラン師遺稿集(資料集)』より

ネラン師は、長崎にいた時、論語を日本語で読んでいた。東京に赴任していた時に既に原稿は日本語で書かれていた。日本語の漢字は書き順が少々違うが、非常に難しい漢字を使用していた。恐らく、下記にあげるネラン師の著書は日本語で推敲して居たろう。
ネラン師は多くの著書を残した。その中で、代表的な著書は「ロゴス」である。何故かネラン師は「ろごす」と平仮名で表紙を造った。この本は、13巻ある。発売元は紀伊国屋書店、発行は昭和39年とあり大作である。

『ネラン神父の「日本語で推敲していた」について』
(EISEI)
「ネラン師の著書は日本語で推敲していた」とあるが、本当にそうであろうか?
『ろごす』で、筆者「G・ネラン----渡辺義愛」とあるのは、ネラン神父がフランス語で書いて、渡辺氏が翻訳したということである。ただし、「白石明」はネラン神父のペンネームだから、その文章は日本語で自身が書かれたのだろう。当時は、自覚して、使い分けていたと思われる。
確かに、晩年は『エポペ通信』等、多くの文章を日本語で書いている。
ただ、『キリスト論』や『キリストの復活』等の神学論文は、日本語で書かれているが、そのまま「日本語で推敲」して書いたのかは、今となっては<謎>である。
その可能性は高いといえるが。
なぜ、そういうのかというと、アンリ神父は講演原稿も説教も、一旦フランス語で書いて、ご自身で日本語に翻訳する。ネラン神父『未公開の日記』もフランス語で書かれていた。
日本語で文章は書けても、「日本語で推敲する」ということは、我々が想像するより遥かに困難なことだと、いわねばならない。

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